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人と大型メカの共闘は可能か

DATE: 2011-09-02CATEGORY:COLUMNTAG:

2Dロボ風味を構想するにあたりロボの足元にわらわらと人間を走らせたいと思うのだけれど、これが(というかこれも)難しい。

SCREEN_SHOT: 2D風味ロボゲな歩兵

ロボゲを愛する者の長の夢は2Dであれ3Dであれ「大型メカをぶん回したい」と言うものだ。ここで重要なのは「大型」のあたり。人が大型メカの大きさや強さを感じるのはどういうときか?

それは人の隣に大型メカを並べてみるのが一番手っ取り早く判りやすいのではないか。

建物や車と比べたって大きさなんか判るじゃんと思うかもしれないが、直接対比した時どちらに夢があるかってことになるとやはり人の隣に大型メカを並べるほうが激しく昂揚しそうな気がする。

例えば、そう、模型での大戦時のジオラマを想像してみて欲しい。この手のジオラマでは主題や作品題名は戦闘車輌なんだけど、戦闘車輌に歩兵の非戦闘な日常が加味されることが多い。そこには戦闘車輌だけでは現実味やスケール感が足りないんじゃないかという不安というか、歩兵と共にある戦闘車輌の日常を見たいと言う嗜好や説得力のようなものが強く働いているのではないか。

ならばロボ風味もこれと似たような解釈でスケール感を加味できるのではないか。

ゲームでの人と大型メカの共闘

同じようなことを考えた先人も多いに違いない。その証拠にプレイヤーの操作する機体と人がゲーム中に同時に登場するゲームというのは意外と古くから存在する。

名作チョップリフター(1982)などはその開祖といっていいし、X68000のジェノサイド2(1991)等、演出小物程度ではあるがプレイヤーの操る機体の足元を右往左往する存在として人が登場している。またヘルツォーク(1988)ではある程度の機能を伴って歩兵が登場する。いずれのゲームも人が登場することで機体の大きさや強さが一目でわかる尖ったゲームデザインだ。

しかしながらロボ風味のゲームの総数に比べて人と機動兵器との対比に力をおいた作品数はあまり多くない。そこにはスケールの違いによるいくつか問題があるのではないかと疑っている。

というのも大型メカと人間の見た目のスケールの差異はそのまま機動力や攻撃力でも同じぐらい大きな差となって現われるため、置き方を間違えると人間はほんとにただの蹴散らされるだけの演出小物になってしまう。

それならいっそのこと人を省いて機動兵器同士の殴り合いにすればいいではないか、という話にもなろう。この辺が人と機動兵器の共存を嫌う一番の理由ではないだろうか。とにかくいろいろと整備しなければならないことが大きく増えてしまうあたりが避けられる原因なんだろうなと思う。

それでも大型メカの足元で人間を走らせたい場合はどうしたらいいか。これが冒頭にも書いた悩みどころなのだ。

まずはその機動力を補う仕掛けが必要だ。攻撃力はわりとどうにでもなるような気がするが、機動力はさすがに仕掛けなしで増やすことができない。

次に防御力。登場する機動兵器の前にただ置いただけでは、弾と歩兵が交差するだけであっという間に蹴散らされてしまう。私の作る命中判定部分は恐ろしくいい加減な判定なので、プレイヤーが本気を出せばおそらく数秒と持つまい。この辺にもなにか楽しい仕掛けが必要になる。

この楽しい仕掛けってのが現在の悩みどころなのだ。はたして人と大型メカの共闘は可能なのだろうか?